空を望む−08page
「そんな馬鹿なっ。俺は見た事ないし、他の里の連中も知らないって」
「探したのはあなた?」
「いえ、こいつの母親…というかこいつを拾った《星詠》ですけど」
「…そう。なら、その《星詠》は恐らく比較的年若い精霊にしか聞かなかったのね。《星詠》の里でなら上位の者にも尋ねたでしょうけど、天に属する精霊は大地に属する精霊に無関心だから」
リリは動揺に揺れるキラの瞳を見据えて言った。
「これは《土守》の証よ」
「…《土守》?」
「そう。地脈と鉱物資源の管理を主な役目とする精霊」
「ちょ、ちょっとまって下さいっ。それって《火守》の役目じゃないですかっ」
慌てたようにヒューが問い掛ける。
大地に属する精霊は天に属する精霊よりも横のつながりが強い傾向にあるが、そんな役目の存在を聞いた事がない。
「今はね」
「今…は?」
リリはざっと辺りを見回す。
「この辺りは地盤も地脈も安定していて、《土守》の仕事が少なかったのよ。だから、比較的に手の空いていた《火守》にここでの《土守》の仕事を兼ねてもらう事になったの。勿論、かなり昔の話だけど。だからこの辺りには《土守》はいないはず。かつてこの土地を担当していた《土守》の里は南の方の火山地帯にある里と一つになったって話よ」
「ちょ、ちょっとまってくれ」
慌てていた為、もはや敬語の面影すらない。
「おかしいじゃないかっ。いくらなんでも、そんな事があったのなら上から下に語り継ぐのが筋じゃないかっ」
リリは彼の言葉づかいを気にした風もなく、
「確かにね。私もそう思うわ。だけど、その時に色々と問題が起きたみたいで。たぶん、里の恥とも言える事だから言い辛かったんじゃないかしら」
「問題って?」
「元々は南方の《土守》からの手が足りないって要請からはじまった話だったのよ。だけど、《土守》のほとんどがこの土地に愛着をもっていたでしょうし自分達の仕事を他の精霊に任すなんてのは矜持が許さないって精霊もいたでしょうね。《火守》にしても他の役目の仕事を押し付けられる訳だし、反発する者も出るわ。半ば内紛みたいな状態になってしまって当時の《月詠》の長が仲裁に入ってようやく収まったの」
「そんな事が…。でも、なんで《月詠》の長が仲裁なんかに?」
「南方の《土守》から嘆願書が来たの。《土守》にしろ《火守》にしろ、天の属よりもっとも遠い精霊だから、なまじ近しい精霊よりも公平な仲裁が出来るだろうって。他の大地に属する精霊はこの件に何がしかの形で関わってしまっていたから確かにそれが最良だったと思うわ」
「それで結局は…」
「ええ、当初に要請があった通り、この土地の《土守》は南へと移り、ここの《火守》は《土守》の仕事を兼ねると」
三人の視線がキラの持つ錆びた首飾り、すなわち《土守》の証に注がれる。
「じゃぁ…」
掠れた声。震える言葉。
「わたしは…《土守》の子なの?」
「…私には分らないわ。ただ」
「ただ?」
「そう考えるのがもっとも有り得る話じゃないかしら。あなたが極端に広い土地を受け持てるのもそれなら納得できるわ。《土守》としての才能を強く受け継いでいるのならそこらの《屑星拾い》ではとうてい及ぶはずもないわ」
証を持つ手が震える。突然の事に頭が真っ白になっていく。
何か今の内に聞かないといけない事があるような気がするが、考えが霞のように形にすらならず消えていく。
「でも、もしもそうなら。なぜこいつはこの土地に捨てられていたんです? どう考えてもこいつが拾われた時に《土守》がいなくなったって訳じゃないんでしょう? もっと昔の話ですよね、それって」
まともに受け答えできそうにない彼女を見かねて、ヒューが代わりに聞いた。
だが、リリは静かに首を横に振る。
「それは私には分らない。ただ、《土守》内部のゴタゴタの末でって事でしょうね、推測だけど。同じ《土守》同士だとはいえ、元々は違う土地の精霊達を一つの里に収めれば問題の一つや二つ起きるでしょうから」
キラの両肩は震えていた。
彼女には考えたくない事があった。知りたくない事があった。
聞くべきでないのかも知れない。知らなければ良い事なのかも知れない。
だが、堰をきったように質問は口をついていた。
「あの…」
「なにかしら?」
「《土守》は天の属よりもっとも遠いって…」
「ええ、恐らくすべての精霊でもっとも空に遠い精霊になるでしょうね」
「わたし…飛べないんです」
「………」
「がんばったけど。がんばっても飛べないんです。だから、ずっと《屑星拾い》のままで」
水滴が地面を叩いた。
キラの頬は涙に濡れていた。
「それでも、がんばれば届くんだって思って。みんなにおいていかれて、何巡りも置いていかれて。馬鹿にされて落ち零れと呼ばれて…それでも《星詠》になろうと…。《星詠》になりたくて。でも…《星詠》にはなれないんですか?」
「…《火守》の里の出で《星詠》になった例はないわ。目指した精霊はいたと聞いてはいるけど。…正直に言わせてもらえば難しいとしか言えないわ。《土守》は《火守》よりも空から遠いの」
言ってリリは目をそらした。
自分の言葉が年若い精霊の健気な心を傷つけるだろう事は分っていたが、それでも彼女の未来の為に嘘をつく訳にはいかなかった。
ぽろぽろと涙を零す《屑星拾い》。決して空へと届かないと知った今の気持ちを推し量る事は誰にも出来ない。
それでも溢れる涙を拭いて精一杯の笑顔で礼を言った。
「ありがとうございます。教えて頂いて」
「…いいえ。こんな事、証を拾ってもらったお礼にもならないわ」
「そんな事ないです。今までずっと自分はどこの精霊の子だろうと悩んでいたんです。でも、これからはそんな事で悩む事はないんです」
それから彼女はヒューの方を向いた。
「ごめん。今日はちょっと頭に入らないと思うから。また今度にしてもいいかな?」
「あ、ああ。別に俺はかまわないけど」
「うん、とりあえず《火守》にするから。その事について教えて」
「…《火守》に決めたのか?」
「うん。《火守》が《土守》の仕事を兼ねているのなら、たぶん《火守》になるのが一番だと思うから」
言ってからリリが首を傾げているのに気付いた。
「あ、すいません」
「いいけど。…《火守》になるとか言っていたけれども」
「…ずっと《屑星拾い》のままだったから、もう諦めた方がいいかなって思ってはいたんです。元々、彼から他の精霊の役目について教えてもらう予定だったんです。だから、リリ様の話はちょうど良かったです」
「リリでいいわよ。様なんて似合わないわ」
苦笑して、ふとリリは思案顔になる。
「あなた…、いえ、その前にまだ名前を聞いてなかったわね。そっちの彼も」
「あ、キラといいます」
「ヒューです」
「では、キラ。あなた、《火守》になるつもりなの?」
「はい、そのつもりですけど…なにか?」
「いえ、《火守》という役目に何か思い入れでもあるの? さっき《土守》の仕事も兼ねているからとか言っていたけど」
「特に思い入れとかそんな事じゃないです。私はかなりの季節を巡っていますし、さらにいまから見習いから始めるとなると、よっぽど向いている役目じゃないと駄目かと思って」
しばし、リリは考え込んだ。
どうしたんだろう? と不安になるキラ。
「あの…、どうしたんですか?」
「いえね。もしも、あなたにその気があるのならの話なんだけど」
「はい?」
「《土守》になる気はない?」
一瞬、言葉を失う。思わず手にしている《土守》の証を握りしめる。
「《屑星拾い》をしていたとはいえ、《土守》の子でありこれほどの《土守》としての才能を持っているのなら《土見》、つまりは見習いの期間なんてあっという間に終えるわ」
「ちょ、ちょっと待って下さいっ」
泡を食ってヒューが割って入った。
「昔はともかく今は《土守》も《土守》の里もないんじゃ」
「なくなってはいないわ」
「え?」
「移動しただけよ」
「あっ!」
キラとヒューの声が重なった。
そう、ここにいた《土守》は南方へ移動しただけ。役目そのものは消滅していない。
「じゃぁ、《土守》になるって事はもしかして」
「そう、南方へ移った《土守》の里に入るの」
「そんな…」
「噂ではいまだ人手不足気味らしいから歓迎されると思うわ。ゴタゴタがどうのって話も最近は聞かなくなったし。里が一つになって随分と経っているしいつまでもそんな調子でいる訳にもいかないしね」
「ここを…離れるんですか?」
「そうね、もしも《土守》になるのならそうなるわね。だから、あくまであなたにその気があるのならの話よ。どんな精霊でも自分の管轄の土地を愛するもの。だけど、もしもあなたが自分に向いている役目をと思っているのなら、もっとも向いていそうだと思うわ」
「それは…そうですが」
「あなたにその気があるのなら、私が《土守》や《星詠》の長に話してもいいわ」
キラの頭の中でぐるぐるとリリと自分の言葉が回っている。
《土守》になる?
《土守》に向いてる?
…私は《土守》になるべきなの?
「どう?」
「あ、あの…」
「ん?」
「じ、時間を下さい。今日、いろんな事をいっぱい知って頭の中が混乱して…あの」
「…そうね。あなたにとっては重大な事だらけだったでしょうからね」
数歩後ろに下がり、リリはキラとヒューを視界に納めて何度も頷いた。
空を見上げる。瞬間、彼女の周りを漂う光球達が輝きを強めて、それに呼応するように胸の証も強い輝きを放つ。
「今日は下弦ね」
半分に割れた月。キラ達もリリにならって月を見る。
「新月の夜は私達の仕事はないわ。その日で良いかしら?」
「は、はいっ。分かりました。でも、新月って言うと後どれくらいで…」
「1週と1日といった所ね」
リリが地面を軽く蹴ると、途端に重力の糸が断ち切れたように彼女の体が浮き上がった。
「では、そろそろ私は帰るわ。証を拾ってくれてありがとう。では、新月の夜に…」
まるで月を目指すように光を絡ませながら昇っていく彼女を二人は、ずっと呆けた表情で見つめ続けていた。
© 2009 覚書(赤砂多菜) All right reserved