鉄仮面魔法少女まりん−12page
やがて、駅前を行き交う人々の姿が陽の赤色から闇色に変化しつつあった。
「もう、そろそろ引き上げるよ。あんまり遅くなりすぎるのもなんだし」
鞄の中に問いかけるが返事が返ってこない。
「ちょっと、まだいる気なの? そりゃどうしてもって言うならいいけどさぁ」
呆れたように声をかけるが返事はやはり返ってこない。
少し怪訝に思う真鈴。
「…マリン?」
ふいにピリッと痺れるような感覚が鞄を抱えた右腕に走る。
次にぐわんっと視界が広がるような感覚。
一瞬、平行感覚が狂ってガードレールから転げ落ちそうになる所を辛うじて立ち上がってバランスを取る。
(真鈴さん、左の方。歩道橋の降り口、やや向こう側に目を向けて下さい)
それは『声』というよりも『意思』だった。
聞くというプロセスを無視して意味だけが浸透していく。
「なによ、これ…」
体は無意識のうちにマリンの『声』に従っていた。
(マリンっ、あんた。まさか魔法であたしの体を操ってるんじゃないでしょうねっ)
(違いますっ。それよりも『あそこ』に注目してください)
あいまいなはずの指示が、まるでペンライトでその位置を指しているかのようにその場所を理解出来た。
視界のフォーカスが一点に収束する。
その先には薄汚れた浮浪者風の男がいた。
(あの人がどうしたの?)
心の内で問い掛ける。
だが、その答が返ってくる前に男が立ち去ろうとする。
(追って下さいっ!!)
(うわわっ、『声』大きいよ、マリンっ)
(あ、すいません)
(で、なんだってーのよ。あの人が)
ガードレールから降りて、男を見失わないように気を付けながら歩道橋を渡って反対側の道路へと移動する。
男は一度も振り向かず、さして早くないペースでどんどん先へ行く。
(見つけました)
(え? ヨリシロになれそうな人?)
期待に満ちた言葉。
良く考えれば男なのでそんなはずはないのだが。
(いいえ、違うます)
(じゃ、なんなのよ)
(…魔物です)
瞬間、思考が停止した。
(えええええええぇぇぇぇっっ!!!)
(真鈴さんっ。『声』が大きすぎますっ!!)
(だってだってだって。あれってどう見ても人間じゃないっ)
(擬態してるだけです。ある程度の力があれば人間に化ける程度、魔物にとっては難しい事じゃないんです)
(でも、勘違いって事はないの?)
(間違いありません。この気配は魔物のものです。恐らく本人は気配を隠しているつもりなのでしょうが、完全に隠し切れてはいません。この距離なら丸分かりです)
自信に満ちた声だったが、真鈴の目にはやはりただの人間に見えるのでイマイチ信じきれない。
男はどこへ向かっているのか分らなかったが、どこか目的地があるのかその足取りに淀みがない。
「ちょっと。魔物だったらなんで追ってるのよ。あたしはヨリシロはやんないって…」
マリンのペースに引き込まれないように意識して声を出す真鈴。
「どこを根城にしてるか突き止めるだけです。せっかくヨリシロが見つかっても魔物を見つけられなかったら意味がありませんから。それよりも近づきすぎないように気をつけて下さい。気がつかれたらおしまいですから」
「それは言われるまでもないわよ。しっかし、ほんとにどこに向かってるんだろ。あいつ」
「…この先には何があります?」
「なーんにも」
「なんにもないんですか?」
「いや、何もないわけじゃないけどさ。そんなに目立つものはないよ。ただの住宅地」
「空き家とかはあります?」
「そんなのあたしに分るわけないでしょ」
「…それもそうですね」
「なに? そこに魔物が隠れ住んでるかって事?」
「ええ、まぁ」
「不法侵入だから警察に連絡…てわけにはいかないか。あ、そうだ」
「なんですか?」
「この先、住宅地の前にあれがある」
「あれ…とは?」
「公園」
言った時にはすでに見えていた。
男は真っ直ぐに公園に入っていく。
「公園なんかになんの用でしょうか?」
「用なんてないんじゃない? たぶん、横切るだけだよ」
公園の入り口がS字になっていて、通路の両脇に木が植えられている為に男の姿が見えなくなる。
特に気にするでなく真鈴も公園に入るが、入り口を抜けたところで足を止めた。
「…あれ?」
誰もいない。
追っていた男も含めて誰一人としていなかった。
「見失った?」
呆気に取られた表情の真鈴。
だが、次の瞬間
「真鈴さんっ! 戻って下さいっ!!」
マリンの鋭い声。
「ひゃっ! な、なによっ!!」
「いいから早くっ!」
有無を言わさぬ声。
目を白黒させつつ、体をUターンさせて戻ろうとした。
「?」
はじめは何がなんだか理解できなかった。
あたり前だが、目の前には通ってきた入り口がある。
その向こう側にはここまで歩いてきた道路がある。
何一つ変わっていない。
…なのに足が動かない。
「なに? これ…」
マリンの苦渋に満ちた声が響く。
「すでに手後れという訳ですね」
「ど、どういう事?」
「奴は気配を隠し切れていなかった訳ではなくて、あえて隠していなかったという事です」
「…つまり?」
「平たく言えば…」
背後から土を擦る音が聞こえた。
そろっと振り向く真鈴。
誰もいなかったはずのそこ。
所々に雑草の生えた小さなグラウンドの中央に追って来たはずの男がいる。
「嵌められたって事です」
「ふむ? どうした事だ? てっきり番人だと思ったがただの人間に見えるな」
低い声。
それが男の第一声だった。
「返り討ちにするつもりで誘ってみれば、また珍妙なものが釣れたの。さて、どうしたものか。魔術師にも見えんしなぁ」
こいつ、マリンに気付いていない?
真鈴がそう考え、マリンがそれを読み取って同意する。
(私達の本体が仮面の部分である事に気付いていなかったのでしょう。恐らくは尾行には気付いていても、尾行しているのがどんな存在かまでは分っていなかったのでしょう)
(どうするの?)
(逃げるのは無理です)
(テレポートとか出来ないのあんたっ。あたしの部屋まで来れたりしたじゃない。あ、それにあたしの部屋に目印つけたんじゃないの?)
(普通なら可能ですが、今は状況が違います)
(状況ってなによっ)
(ここは現実世界から切り離された疑似空間です)
(疑似…空間?)
(無いはずなのに存在する場所。出る事も入る事も容易ではありません、魔法の有無を問わずに)
(じゃぁどうするのよっ)
(選択肢は一つしかありません)
(じゃぁ、早くそれやってよ)
(それには真鈴さんの協力が必要不可欠です)
(私の協力って…まさかっ)
(そうです。私のヨリシロとなって戦う事です)
「どうした? ただの人間であるとは言え、魔に無縁ではなかろう? 微か漂う魔法の気配…。魔術師ではなく魔法武具を与えられた下僕といったところか?」
はっと真鈴は男に注意を向ける。
マリンとの会話に意識が集中して、男から注意が離れていた。
いつの間にか距離が随分と縮まっている。
無意識に一歩後ろへと下がった。
それを見て男は訝しそうに眉を潜める。
「おいおい、お主は儂を追って来たのではないのか? 今更怖じ気づいたというのは無しだぞ。せっかくの獲物だ。せいぜい楽しませてくれぃ」
(え、獲物って言ってるし…)
(見逃すつもりは更々無いという事です)
(…だから戦えっての?)
(戦わなければ…そこで終わりです)
ごくっとつばを飲んだ。
追跡している時はそうとは感じなかったが、こうやって正面から相対してると男からは何か重苦しい空気が流れて来ている。
「まぁ、おとなしくしているのは自由だ。儂としてはつまらんが…どのみち結果は同じだろうしな」
(…どうすればいい?)
(そのつもりがあるのなら…私を被って下さい)
(それから?)
(それ以後は私に全て任せて下さい)
「む? それはっ」
真鈴が鞄から取り出した鉄仮面を見て、驚愕に目を見開く男。
だが、それも一瞬。
すぐに我を取り戻し低く笑う。それはすぐに哄笑と化した。
「わはははははっ!!! そういう事かよ。あの時の役たたずの番人かっ! 面白いっ!! 楽しいぞっ!!」
笑いながら男は自らの体を抱きしめるように身を縮めた。
ゴリッと固いものを擦り合わせるような音。
ボキボキッと太い棒を折るような音。
ペリペリと壁紙を引き剥がすような音。
様々な音が男から発せられていた。
「う、あぁ…」
「真鈴さんっ、早くっ!!」
目の前で起きる光景に我を失い呆けていた真鈴を現実に引き戻すマリンの声。
すでに手にしていた鉄仮面を真鈴は顔に当てた。
どこにも穴があいていないため、何も見えない。…はずだった。
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