夢売りのミン 第二章 夢売りは留まらない。−第02話
死の川の辺にある小屋に着くと、ミンは予め水袋に詰めておいた川の水を、精製機器の投入口に流し込んだ。
すでにレベルは最低に調節してある。
あとは出来上がるのを待つだけなのだが。
やっぱり気になりますね。
機器の一端に触れると中空に緑、青、茶、様々色の光の板が浮かび上がる。
それぞれの光板には人間には読むことのできない文字が並んでいる。
とりあえず、精製機器の使用ログから……ですね。
ミンの正面に浮いている青い光板に1行の文字列が追加されたかと思うと、そのとなりに浮いていた緑の光板に文字の列が滝のように上から下へとながれていく。
思わず目を見開いた。
「どういう事でしょうこれは」
思わず声に出して呟いた。
流れる文字の列、そのうち精製機器の使用者欄がほとんど一人の名前で占められていた。
村に戻ると広場にイヌカイの姿がなかった。
売り物である薬もそのまま置かれている。
周りを見渡すと、他の家より一回り程大きな家から数人の村人達が手を振っている。
「あ、夢売り様! こっちです!」
イヌカイさんはどうしたのですか? などとは聞かなかった。
死の川の小屋でみたログの内容と、安全度がコーシャンとなっていた事を合わせて考えると想像はつく。
ただ、一つ問題なのはどうすればいいのか? である。
村人達に誘われるまま、その家に入ってみれば案の定というか、縛り上げられたイヌカイがいた。
さて、どうしたものでしょうか。困りました。
いったい、何が起こっているのだ。
イヌカイは可能なら頭を抱えたかった。縛られている為、無理だったが。
薬の商いもそこそこに、頼みごとがあるというからついていってみればこのザマだ。
そもそもイヌカイは、自分がなぜ人質にとられているのかすら分からなかった。
眠り粉が欲しいならミンに言えばいいのだ。
この村の様子から眠り粉の対価が払えないとも思えないし、もし払えないのだとしても事情を言えば、彼女は無償で提供するだろう。
何しろ、材料が死の川で原価はタダ同然、むしろ容器にしている硝子の小瓶のほうがよっぽど高価なものだ。
ミンが家に入ってからは逃げ道を塞ぐように村人が玄関に数人立つ。
「とりあえず、私と話をしたいと言うのならば、イヌカイさんに突きつけている刃を引いて下さい。それが出来ないというのなら、私は一切あなた方の要求には応じません」
一見、毅然とした態度に見えるが、一緒に旅をしているイヌカイには、内心で困りましたねー、と言っているのが透けて見えるようだった。
刃を持っている若者が家の中央、村人達に守るように囲まれている老人に目で確認すると、老人は頷いた。突きつけられていた刃はしまわれる。
あれが中心人物でこの家の主。村長ってところだろうな。
「おい、ミン。ついでに俺の自由も要求してくれよ」
するとミンは嘆息した。
「それは無理だと思います」
「なぜだよ」
「たぶん、あなたはあれの代わりだからです」
……あれ?
彼女の視線を追って首だけ動かすと壁に立てかけてあるものが見えた。
それは錫杖。それも先端が四葉の形というミンが持っているものと同じものだ。
老人が口を開いた。
「ワシはこの村の村長で、アマノと申します」
「ミンと申します」
頭を下げるミンに、そうじゃねぇだろと思わずその頭を叩きたくなるイヌカイ。
「なぜ、あの錫杖の事を知っていなさる?」
「恐らくあなた方は知っていると思いますが、私達夢売りは死の川の水よりある道具をもって眠り粉を作ります。そして、その道具には記録が残ります」
「記録……ですか?」
「はい、誰がいつどんな眠り粉を作ったのか。3年前より以前、約8年間たった一人の記録で占められていました。イミ、それがあの錫杖の主の名ですね」
アマノは頷いた。
「そこまで知られていては隠し立てする意味もないでしょう。いかにもイミ様にはこの村専属の夢売りとなっていただきました」
「せ、専属?!」
イヌカイが素っ頓狂な声を上げる。
彼のイメージでは夢売りは村から村へと一昼夜のうちに現れては消える風のような存在だったからだ。
だが、会話から分かった事がある。
「俺があの錫杖の代わりと言っていたな? つまりは、前の夢売りは錫杖を質にされ、無理矢理村に留めさせたって事か」
「知った風な口を聞くなっ、若造がっ!!」
アマノが一喝する。
「まだワシが若い頃、2年ほど夢売りが訪れなんだ事があった。村の眠り粉は底をつき、何人が眠れぬ苦しみで死んでいったか。
ワシはこの齢になっても、あの光景が未だに忘れられん。
そして、考えた。考え続けた。いかにあの悲劇を避けられるか」
村長の目は見開かれ、枯れ枝のような手先が震えていた。
「そして思いついた。夢売り様に村に留まっていただこうと。幸い、夢売り様は不老であらせられる。例えワシの死後も村が眠れぬ苦しみを味わう事はない。……イミ様にも理解して頂けていると思っていたのだが」
「逃げられたって訳か」
皮肉っぽく聞こえるようにイヌカイは口にした。
「質をとって留めておいて理解もくそもないだろうに」
「違うっ!!」
叫んだのは、イヌカイに刃を突きつけていた若者だった。
「イミは、あの人は言ったんだ! 自分の命が尽きるまで村に留まるとっ!」
「それを本気で信じた訳だ。めでたいこった」
馬鹿にする意味で鼻を鳴らしたが、それをミンが否定した。
「いえ、イヌカイさん。それはたぶん嘘ではなかったと思いますよ」
「え?」
若者とイヌカイ、そしてアマノが同時に聞き返す。
ミンが若者に聞いた。
「あなたはイミさんの血印者ですね」
「あ、はい。でも、なぜそれを」
「いえ、それはなんとなくですが。イミさんが消える前、大量の眠り粉を作りませんでしたか?」
「作りました。こんなに作ってどうするのか尋ねましたが、念の為と。ですが、数日後に……」
若者は肩を震わせた。
イヌカイは若者とイミとの関係をなんとなく察した。ただ、眠り粉を作るのを手伝うだけの関係ではなかったのだろう。
「そのおかげでこの3年間、かろうじてもたせる事が出来た。だが、結局の所、イミ様は村を去っていった。錫杖では留められなかった。ならば、恐らく血印者であろう、この若者を質にとるしか――」
「あなた方は勘違いをしています」
村長の言葉をミンが遮った。
しかし、この状況だからだろうか? その声に冷たさを感じるのは。
「イミさんは言った事を守りました。命が尽きるまでは村に留まると」
「しかし、現に――」
「繰り返します。彼女は自分の言葉を守った。だからこそ、尽きたのですよ、命が」
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