夢売りのミン 第七章 夢売りは神々の元へ。−第03話
死の川の岩場を次々と跳びかえ、カクに向かって錫杖を振る。
しかし、それを余裕でもって彼はかわす。彼は自身の錫杖では防御すらしない。
それでもミンは必死で食らいつく。
事前にイヌカイより聞いていた飛斬対策だ。
飛斬モジュールの使えないミンにとって、飛斬を使われれば確実に命を落とす。
しかし、カクはその圧倒的優位な立場から、いきなり飛斬を使わない。
まず、食らいつく。そして、距離を取られない事っ。
距離が近ければ、攻撃の際に瞬間的とはいえ隙の出来る飛斬は使えない!
ミンは忠実にイヌカイの忠言に従っていた。
「くくっ、どうした。追いつくので精一杯ではないか。顔色も随分と悪いようだが?」
「……気のせいですよ」
顔色が悪いのは単に体調がすぐれないだけ。かと言って説明するはずもない。
なぜ、体調がすぐれないのかも。
呼吸が荒い。戦闘用モジュールを使ってそんな経験は始めてだ。いくら相手が格上のモジュールを使っている事を差し引いても負担が大きい。
だけど、ミンは賭けた。
賭け金は自らの信念とイヌカイの信頼。
決してはした金ではありませんよっ!
もはや錫杖を武器に使って戦っているというよりも、ただカクに追いすがっているだけに近かったが。
それでもミンは待った。その時が来るのを。
鬼神。レンの脳裏に浮かんだ言葉はそれだった。
はぐれや血印者には、全て神兵用モジュールか、その一つ下程度のモジュールを与えてある。
それがどうだ。全身を返り血に染め次々と敵を切り伏せる彼の姿は。
「レ、レン。何をしている。加勢しろっ」
僕に命令していいのはカク様だけだ。
しかし、そんな言葉は言う前に相手は地に伏せた。
「数で上回り、同じかそれに近い戦闘用モジュールを使う相手に、ここまで圧倒出来るとは。あなたはそれでも人間ですか?」
「数に頼み、モジュールとやらにすがっているだけの連中。人間としての覚悟を持てない連中にすぎん」
「人間としての……覚悟ですか?」
「傷つく覚悟、死の覚悟。踏み込める領域が違いすぎる」
「見事ですね。カク様の相手があなたならば、良い勝負になったでしょうに」
レンはカク達を見やった。そこには己の主人に追いすがるだけで精一杯の夢売りの姿があった。
「あいつはあいつの戦いをしているだけだ。余所見をしている余裕があるのか?」
「それもそうですね」
すでにはぐれ達は半数以下になっている。それだけならまだしも、イヌカイの気配に圧倒されて体が萎縮している。
これでは当初の倍がいた所で結果は一緒だっただろう。
腰から短刀を抜いた。主人のカクより贈られたもの。
孤児であった自分にとって、拾って育てて力まで与えてくれた彼は父親以上の存在だった。
「少し、前座がつまらなかったようで。カク様の代理としてお詫びします。……そして、後悔してもらいましょうか。あの方を敵にまわした事を」
飛斬を放った。勿論これはただの挨拶。当然向こうも相殺してくる。
そして、レンとイヌカイの戦いがカクとは遅れて始まった。
そろそろ、飽きてきたの。この鬼ごっこも。
カクが逃げ、ミンが追いすがるだけの攻防ともいえぬシロモノ。
では、終わらせるか。
逃げると見せかけて、ミンの錫杖を叩いた。
もう握力すら残っていなかったのか、あっさりと錫杖は死の川に沈む。
しかし、それでもなおミンは接近する。
もう、まともな思考すらできぬ程消耗しているのだろう。
そんな考えは次の瞬間にかき消された。
動けない?!
がら空きとなった鳩尾に迫る肘撃。それはモジュールのおかげで緩やかに見えたが、自然と身体が防御に動くはずなのに、まったく反応出来ない。
違う、神兵用モジュールが反応していないだけだ。なぜだ?!
モジュールではなく自らの意思で肉体を動かし防御する、そんな脳からの指令を肉体が反応する前に、ミンの肘撃が鳩尾に突き刺さる。
まるで突然、水の中に突き落とされたような苦しさ。
カクにとっては初めて経験する苦しみだった。
そして、突然視界が何かに遮られる。
死の川の霧ではない。黒い何か。それが何か判断するより前に肺が呼吸を求めてそれを大きく吸ってしまう。
しまった。毒かっ!
風を使い、粉であったそれミンの方へと払う。
しかし、予想した通り、すでに吸い込んだそれは身体の反応を極端に落としていく。
「正気かっ、風を操れるワシにこんなもの! 自らも吸わずに済むと思ったか!」
「いいえ。おかげでようやく本調子にもどれそうです」
……なんと言った?
風のおかげで二人を遮っていた霧も一瞬だけ晴れる。
死人のような顔色をしていたはずの彼女は、まだ荒い息をしながらも、活力を取り戻しつつあるように見える。
馬鹿な、何故……。
ある種の強い毒は別の毒で相殺できるものがある。
カクはそんな事は知らない。
彼はかつては夢売り。そして今ははぐれ。
薬の知識などあるはずもなく。
ましてや、相手があらかじめ薄めていたとはいえ、毒物を服用していたなど想定の外だった。
「ぐっ」
左胸に掌底を決められる。
時が止まる。身動きが取れぬまま、ただミンが懐に潜り込むのを見ているしかなかった。
再び、鳩尾に肘劇が決きめられた。
それまで、退屈しのぎにすらならぬと断じていた相手、その反撃が始まった。
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